2013年12月31日火曜日

2013年の終わりに

平成25年巳年の最終日です.この一年は私にとりましては還暦を迎え,36年余勤めた会社を定年退職するという人生の大きな節目となる年でした.たしかに人生の1stステージと別れを告げることは,仕事の第一線から退くといったいわば世間から遅れをとるかのようなイメージもありますが,むしろ2ndステージの始まりと捉えたく思います.演奏会でも2ndステージから正指揮者の登場となり重みが増します.男の場合ですといよいよ第4コーナーに差し掛かったということになります.平均余命からすれば残すところ20年しかないので,思い切り突っ走るだけとも考えられますが,この際焦らずじっくりと自分のしたいことを実現していこうと思います.まずはこれまで共に歩んでくれ,家庭を支えてくれたカミさんや,私が望む進路を着実に歩んでくれている娘に感謝です.
※自宅からの日没風景

2013年12月27日金曜日

ゼロファイター

数日前,デパートのフロア一角にプラモデルのコーナーを見つけ,しばし童心にかえりあれこれ手に取ってみました.飛行機や自動車,艦船に戦車など,数えきれないほど作ったものです.とりわけ「タミヤの戦車」は箱の絵や部品の一つひとつに至るまで実に忠実に再現された模型で人気がありました.その田宮模型は静岡市に本社があります.子供の頃,あれほどプラモデルが流行し,数多く出回っていたのもそのせいかもしれません.飛行機も第二次大戦時の戦闘機が人気でした.メッサーシュミット(独)とスピットファイアー(英),グラマンにムスタング,コルセア(米),そして日本製はなんといってもゼロ戦です.正式には零式艦上戦闘機と呼ばれ,21型や52型等の改良型があります.開戦当時は優れた旋回性能や航続距離,強力な機銃装備等で無敵を誇り,欧米からは「ゼロファイター」と呼ばれ恐れられたようです.
先日はそのゼロ戦が活躍する映画「永遠の0」を観に行ってまいりました.邦画を観るのは何十年ぶりなのか,とにかく前回観た邦画が何だったのかも思い出せません.今回この映画に惹かれたのは,先ずはゼロ戦が重要なアイテムとなっていること,すなわち数日前に出会ったプラモデルのゼロ戦の雄姿につながります.それとカミさんが原作となる小説を読んでいる最中だったことです.本を読まない私は知らなかったのですが,人気小説家によるデビュー作品のようでした.映画を観て驚いたのは特撮技術VFXの効果です.邦画もここまで描写するようになったのかとの思いです.空母「赤城」からの発艦情景や敵機との空中戦等,臨場感に満ちた映像は実に感動的です.これはまさに子供の頃,こんな情景を頭に描きながら模型を組み立てていたワクワク感と同じです.一方,娯楽映画とはいえ,戦争をテーマとした作品は役者にとっても重いものでしょう.ベテラン俳優陣に囲まれ,主役級の若手タレント達が重みを感じさせる演技をしていました.終戦間近の神風特攻隊の悲劇は戦争のもつ悲惨さの象徴として,今を生きる現代人にも決して忘れてはならない出来事のひとつです.生きることの尊さ,数多の犠牲の上に現代の繁栄がもたらされていることをあらためて感じさせてくれた作品でした. 今年はゼロ戦に因んだヒット映画作品がもうひとつありました.こちらはアニメ作品ですが,その監督が後に封切となるゼロ戦関連映画について酷評を述べたとか述べないとか...名機ゼロ戦にまつわる史実について争う映画製作者同士もゼロファイターと言えるかもしれません.

2013年12月6日金曜日

クリスマス飾り

もうじきクリスマス.街の飾りが否応にも気分を掻き立てますね.こんな歳になっても気分は同調してしまいます.部屋には毎年同様のツリーを取り出したり,カミさん作製のクリスマスグッズを飾ってみたりしています.カミさんは東京の娘のところに入り浸りで,静岡では私はほとんど一人きりですが,のんびりくつろいでいます.近所の庭先にもクリスマスのイルミネーションが点灯し始めました.毎年の終わりを告げるきらめきです.

2013年12月5日木曜日

BF定演

今年7月開催のBF第22回定期演奏会のCD,DVDがようやく手元に届きました.今回のDVDは曲の演奏パートに合わせたカメラワークで,鑑賞用DVDとして大変見やすくなりました.入魂のボッタキアリも魅惑のミケーリも苦労した分,感慨深いものがあります.メンデルスゾーンもハイドンもそれなりの音楽性を表現できましたし,ラストのボルツォーニ,アンコールのマネンテもBFらしさを十分発揮した熱演でした.今回の定演にて私としては最後の参加となりますが,BFでの3年間の演奏体験は大変貴重で,充実したものでした.3回の定演それぞれに苦労した曲がありますが,苦労話は練習後の飲み会で消化しつつ,次の練習への糧としておりました.私にとってBFとは音楽性,技量,使用楽器,飲み仲間等々,理想的な団体でした.静岡の地からの参加もできないことではありませんが,やはり地元の愛好会での活動を第一としたいですし,BFは私の技量からすれば,かけもちで参加できるような団体ではありません.もう少し技量と若さがあれば違った選択だったかもしれません.

2013年11月30日土曜日

朝の景色

2013年も12月を残すのみとなりました. 静岡に戻り2ヶ月となりますが,日々のんびりした時を過ごしています. 目覚まし時計から解放された朝は,実はこれまでとあまり変わらず,早く目が覚めます.長年にわたり暮らした習わしなのでしょうか. 静岡M愛好会は毎週1回の平日練習と月1回の日曜練習が組まれており,私の如く暇人にとりましては曜日を忘れることもなく,ほどよいスケジュールとなっています.仕事をされているメンバーにとっては毎回の出席は苦痛かもしれません.来月には老人ホームでのボランティア演奏が2件と3月に開催される県マンフェスティバルのための練習日も加わり充実した日々が過ごせそうです. このところの好天が続いているおかげで,マンション裏手から望める富士が日々,清々しい姿を見せてくれます.

2013年11月11日月曜日

ブログ再開!

定年退職やそれに伴う引越しに加え,PCの故障が重なり,2ヶ月程ブログをお休みしておりましたが,ようやく落ち着き,PCも新調しましたので再開することにしました.まずはこの2ヶ月間のトピックを書き留めましたので掲載してみます. 2013年9月20日「最終出社日」  来月の定年退職を控え,9月20日(金)を最終出社日としました.期末,期首の時期であることや,引き継ぎ業務のタイミングを考慮し,大安である日を選びました.前日には担当部門にて送別会を催していただき,いよいよ定年退職かとの実感がふつふつと湧いてまいりました.これまで私は社内では硬派の突っ張りタイプでしたが,こうして温かく見送っていただくと何とも嬉しいものです. 2013年9月30日「引越し(荷出し)」  これまでの幾度かの転勤による引越し経験から,荷物量と荷造り時間のおおよその予測がつくようになりました.転勤族ですのでもともと荷物は多くないはずなのですが,今回は予想通り,業者による荷出し作業だけで丸二日もかかってしまいました.東京には6年間暮らしましたが,その間に予想外の垢がたまっていたようです.ほとんど着ない衣類や見もしない紙類等,この際思い切って廃棄しました.がらんどうになった部屋を改めて眺めてみますと,6年前,東京での住居探しでこの物件に決めたときのことを思い出します.月々の家賃負担は半端ではありませんでしたが,都心へのアクセスの良さや,南面向きの明るい部屋は決定ポイントでした.住み慣れたこの部屋ともきょうでお別れです.入居挨拶用の東京土産は東京駅ステーションホテル2階の虎屋で羊羹を買い求めました.この品はカミさんのこだわりのようです.東京を去る一抹の寂しさと自宅へ戻る嬉しさが交錯しながら新幹線に乗り込みました.静岡には1時間で着いてしまいます.駅前のホテルアソシアにチェックインし,すぐ隣の鮨屋で遅い夕食を済ませました.さあ,明日は荷受けです. 2013年10月1日「引越し(荷受け)」  朝から本降りの雨です.せっかくの我が家への引越し日だというのに...いささか残念な気持ちのままタクシーで自宅へ向かいます.そういえば,本来は引越し前に一度は訪れ,床や押し入れ等拭き掃除くらいしておくべきでありましたが,ついつい多忙にかまけて放っておいたのが雨にたたられた一因かもしれません.さてさて,部屋の中はどんなかと不安気味に玄関ドアを開けました.果たして床のフローリングから壁のクロスまでほとんど 新品同様にクリーニングされており,これにはカミさんも感激!ほとんど拭き掃除は不要なほどでした.予定時間に引越し業者が訪れ,その頃には雨もあがり,陽が射し込んできて天候も回復してくれました.荷物が多いだけに開封作業もかなりの時間を要し,しっかり夜までかかってしまいました.それでもなんとかリビングスペースだけはきれいに整理しました.あとは寝床を確保するのみです.こうして,恐らく最後となるであろう引越し作業は無事終了したのであります.とにかく疲れた!早く寝ることとします. 2013年10月9日「静岡マンドリン愛好会復帰」  15年ぶりの復帰だけに初回練習への参加には若干の緊張感がありました.当時のメンバーで残っているのは10人ほどですが,はたして何人が練習に出てくるか,ほとんど知らないメンバーばかりでは居所が悪いし,若手ばかりだったらさぞかしばりばり弾きまくり,ついていけないのでは...などと不安を抱えつつ練習場に入りました.幸い5,6人の馴染みの顔が目に入り,ホッとしました.本日の曲目は単なる練習候補曲のようですが,2曲ともここ最近弾いていた曲でしたので難なく加わることができました.初回練習とのことで,やはり力が入っていたようで,練習後半は指がつってしまいました.これはここ数年来の悩みですが,なんとか抜け出したい症状です.こうして愛好会復帰デビューは不安を抱えつつもなんとか果たすことができました. 2013年10月12日「末広中学校同期会」  小学校や高校の同窓会企画はこれまであったのですが,中学校での集まりは初めてでした.中学時代といえば女生徒を意識し出した,甘酸っぱい思い出のあふれる年代です.初めてラブレターを書いたあの娘は出席しているだろうか,成績の差で異なる高校へ進んだあの娘は?などと期待と不安の中,会場のホテルアソシアへ足を運びました.あいにく該当の二人には会えませんでしたが,懐かしい顔ぶれや意外な方々との出会いで,思い出話が弾みました.なにせ44年ぶりの再会です.私自身も含めてですが,経年の変貌ぶりには驚かされました.当時はクラスが14もあり,学年では640名を数えましたが,本日こうして100名余が集まったのは幹事の方々のご苦労の賜物です.伺えば,すでに亡くなられた方が20数名,所在不明が160名余おられるとのことです.44年という長い時間を経てもなお,こうして再び静岡の地にて同期の方々とお会いできることの幸せをかみしめておりました. 2013年11月10日「浜松マンドリンオーケストラ第40回定期演奏会」 あいにくの小雨模様の中,浜マンの第40回記念定期演奏会に出かけました.在来線にて70分程で浜松に到着.浜松駅に降り立つのは15年ぶりとなります.演奏会まで時間がありましたのでアクトシティ内の楽器博物館を訪ねました.入口付近のフロアではアジアの楽器群が所狭しに展示されており,まずはその絢爛豪華さに目を奪われました.当館には期待したマンドリン属は少ししか無かったのですが,とにかく世界の弦楽器から管楽器,打楽器に至るまで,ありとあらゆる種類の楽器群の多彩さには圧倒されました.限られた時間でしたので,それぞれ音を確かめるまではできませんでしたが,いつか改めて,じっくりと巡りたいと思います. 昼食は駅前の鰻屋「八百徳」の鰻茶漬け(「櫃まぶし」とは呼ばない)で腹ごしらえ.やっぱり浜松に来たら鰻ですね.久しぶりに味わう美味に大満足! さて,浜マンは20年ほど前に浜松に転勤となった折に,2年間ほどお世話になった団体です.短い間でしたが,ジャンルを問わず自由な雰囲気の当団での活動は大いに楽しい時を過ごすことができました.今回の記念演奏会プログラムもオリジナル,アニソン,クラシック等バラエティに富んだ浜マンらしいものでした.嬉しかったのは当時の同世代のメンバーが相変わらず頑張っている姿を確認できたことです.演奏終了後,ロビーにて何人かと話すこともできました.来年は愛好会が40回記念演奏会を迎えますので,浜マンのメンバーも来場してくれれば嬉しいですし,県のフェスティバルでもお互いにマンドリン音楽を盛り上げていければと感じた次第です. 帰りは新幹線で30分もかからず静岡に到着.静岡の街路もクリスマスの飾りつけで賑わってまいりました.

2013年9月9日月曜日

2020東京オリンピック開催決定!

東京は勝ち残れないのではと思っていました.フクシマ放射能汚染水問題がIOC委員に計り知れない影を落としてるように思えたからです.汚染水処理を企業に押し付け,根本対策を先送りしていた日本政府に対する世界からの不信の表れと感じていました. 今回は候補国それぞれに課題を抱えた中での戦いでした.マドリードはユーロ経済圏を揺るがすほどの国家財政難,イスタンブールは政権批判デモや隣国シリアの内戦問題,そして東京は汚染水問題です. マドリード優勢との大方の下馬評の中,みごと東京開催を勝ち取った背景には様々な要因があったのでしょう.日本人が苦手とするプレゼンでのパフォーマンス,IOC委員へのロビー活動,政界・財界のバックアップ,次期に予定されているソチやリオデジャネイロでの準備の遅れ等が東京への強力な後押しとなりました.とりわけプレゼンにおける各プレゼンターの発言は印象的でした.冒頭に登壇された高円宮妃久子さまの震災復興支援に対する感謝のスピーチから始まり,安部首相はフクシマから逃げず,データをもとに東京の安全・安心をIOC委員に訴えます.滝クリは日本人の「お・も・て・な・し」の心を流暢なフランス語で語りかけます.猪瀬知事は英語にはぎこちなさがありますが,むしろ招致獲得にかける熱い気持ちが身ぶり手ぶりから伝わってまいります.竹田理事長は最高責任者としてストレートに,ダイレクトに東京への投票を訴えます.震災被災地出身であるパラリンピック陸上の佐藤選手はスポーツが挫折を乗り越える力を与えたことを熱く語ります.これらを聴いているうちに,東京開催がもし実現できたら,日本にどれほどの夢と希望がもたらされるのかと期待に胸膨らむ思いがしました.IOC委員にも熱い思いが伝わる素晴らしいプレゼンだったと感激しました. ロゲIOC会長の「TOKYO」の発声に日本中が歓喜に包まれました.「よかった!」と素直に思いました.東京五輪開催が決定した2013年9月に東京を離れることになる私としてはなんとも複雑な気持ちではありますが,今後の日本全体が盛り上がることに間違いなく,定年後のセカンドライフの中でも大きな楽しみが増えたことになります.本来国として本腰を入れるべき汚染水対策も世界に対しては公約宣言ともなり,逃れられない重い責任を負うこととなりました.日本国民の一人ひとりが7年後の楽しみを共有するとともに,被災地対策を見守っていかねばなりません.

2013年8月18日日曜日

郡山のギター仲間

郡山のギター仲間に会うため,9年ぶりに東北新幹線やまびこ号に乗車しました.15年前,静岡から郡山に転勤となり,家族を残して東北での単身赴任生活が始まりました.当時は郡山での環境に馴染めず,頻繁に静岡に帰っていました.東京駅で東海道新幹線から,郡山に向かう東北新幹線やまびこ号に乗るたびに陰鬱な心持ちでいました.仕事にも慣れた頃,マンドリンクラブを探し始めたのがきっかけでクラシックギタークラブに入ることとなり,結局マンドリンクラブとの二股かけての音楽活動がスタートしました.とりわけクラシックギター合奏では初めて本格的なギターを購入して取り組み,飲み会企画や機関紙発行など精力的に活動させていただきました.私がやりたいことをメンバーの皆さんが大らかな気持ちで受け入れてくれました.そんなわけで郡山での6年余のプライベートタイムはほとんどマンドリンとギターで費やしましたが,楽しい思い出がいっぱい詰まっています. 東日本大震災後はいち早くお見舞いに伺おうと思ってはいたのですが,機を逸していました.他県と違い,福島は原発の放射能汚染が震災被害以上に暗い影を落としました.皆にどのような言葉をかけたらよいのかわからないまま時間が過ぎていました.今年は私が東京を離れることになり,このままでは郡山の皆に会う機会はないだろうと思い,意を決して訪れることにした次第です.飲み会ではクラブメンバーの近況等で盛り上がっていましたが,原発の話題になれば,潜んでいた不満が噴出してきます.私としては頷くしかありません.当事者でなければ理解できない感情なのでしょう.とはいえ,日々放射能汚染にさらされている生活環境にもかかわらず,音楽を続けている仲間に敬意とともにたくましさを感じました.音楽は荒んだ心を癒す力があることを真に感じることとなりました.私も近々新たな環境で音楽に取り組むこととなりますが,気力の限り続けたいと思います.

2013年8月12日月曜日

都電荒川線

かねてより一度乗ってみたいと思っていた都電荒川線に初めて乗車しました. 東京都心はメトロ路線が縦横無尽に敷かれていて,通勤時間帯では2~3分おきに車両が目まぐるしく駅を往き過ぎます.一方,都電荒川線は平均時速14.6kmのノロノロ運転です.奇跡的に残ったちんちん電車で下町をのんびり旅するのも一興です. 早稲田駅から乗車しましたが,当初は思ったより速いと感じました.でもしばらくしてカーブが多くなると停まってしまいそうなくらいスロー運転となります.地下鉄ではないので,踏切を多くの車や人が行き交います.電車は数多くの踏切を実に遠慮しながら進みます.こりゃ遅い訳だ.でも辺りの風景が時代を感じさせ,その景色を味わいながら進むには実に丁度良い速度です. 飛鳥山駅で下車して付近の公園を散策しました.往時のちんちん電車や蒸気機関車が展示されていてタイムスリップ気分を味わえます. 大都会での夏の休日のひととき,大らかな時間の流れを感じることができました.

2013年8月11日日曜日

東京ジュニアオーケストラソサエティ第14回定期演奏会

昨年,第13回定期演奏会を初めて聴いた時の感動が再び蘇りました.連日の猛暑が続く東京の文京シビックホールに,その暑さをものともしないジュニア達の瑞々しい音楽が鳴り響きました. 前回はブラ1がメインでしたが,今回はブラ4がプログラミングされました.なにせ,ブラ1の重厚な音楽をおよそ年端もいかぬジュニア達が創り上げてしまうことにある意味衝撃を受けたものでした.多少のミス等はあったのかもしれませんが,そんなことなど全く意に介さないほどの新鮮な感動でした. そして今回のブラ4です.変則的な構成の中に潜むドイツロマンティシズムと劇的要素を同時に織り込んだこの曲をどう聴かせてくれるのか大いに楽しみでしたが,その期待を裏切りませんでした.特に弦は高音から低音まで朗々と響かせてくれました.同時に,改めてこのホールの響きの良さに感心した次第です. 惜しむらくはホルンの安定感でしょうか.私はオケの各楽器の特性についての知識はほとんどありませんが,ホルンは管楽器の中でもとりわけ難しい楽器ではないかと想像します. 最後にティンパニ君,ブラ4を終始一貫ドラマティックに引き締めてくれてありがとう!素晴らしい演奏でした! アンコールはメランコリックな名曲,ハンガリア舞曲1番.灼熱の真夏に聴くブラームスもいいけど,そこはかとなく秋を感じてしまうのは私だけでしょうか.

2013年8月4日日曜日

娘の住まい

静岡への転居にともない,娘の住まいを探していましたが,神楽坂に決めたようです.そこで今日は下見に行ってまいりました. 地下鉄東西線神楽坂駅から徒歩1分と至便ではありますが,1Kとしては家賃はそれなりに高い!そのうちに娘と寝食を共にするであろう人が現れれば,また新たな住まいでの生活がスタートするのでしょうけど.それまでは私とカミさんの東京での宿泊先として利用できそうです.設備面やセキュリティ,環境などはもちろん合格です.それにしても神楽坂の住人なんてちとうらやましい.

OM-Dその後

いまだに使いこなしていないOM-Dですが,2週間ほど前に単焦点レンズを2本購入しました,それまでのレンズはキット品の12-50mmF3.5-6.3ズーム1本のみでしたが,明るい単焦点が欲しくて店をハシゴしました.とはいえ何を撮りたいのか目的が固定されている訳でもなく,したがって何mmのレンズが必要なのか実はあまりはっきりしてなくて...とりあえず,評判の良さそうなレンズをリストアップしました.結果は17mmF1.8と45mmF1.8の2本.前者はスナップ用,後者はファミリーポートレート用とのことです.当初は75-300mmの望遠ズームが欲しかったのですが,今回はパスで日常多用するだろうレンズ2種にしました.いまのところ重宝するのは17mmです.特に先日の所属マンドリン演奏会ではリハーサル風景やチューニング室に並んだオールドマンドリンの名器達を表情豊かに捉えることができました.背景のボケ具合の調整や構図の取り方など,経験を積んで印象的な写真を増やしていきたいと思っています.

2013年7月29日月曜日

マンドリンな一日2013(その2)

いよいよBF第22回定演その日がやってまいりました.
このところの天候は不順続きで,特に昨日は東京の一大イベントである隅田川花火大会が予定通り始まったのですが,途中からの激しい雷雨の襲来は大会初の中止をもたらしました.浴衣姿で繰り出した多くの若者達がずぶ濡れになってしまい可哀そうでした.そういえば昨日の練習帰りのビールは1本で留めておいてよかった.2本目にいっていたら雷雨に遭遇でしたね.オヤジの感も時には当たるもんだ.本日はなんとか晴天がもってくれればよいのですが.
見慣れた第一生命ホールまでの景色をじっくり眺めながら,会場に着けばすでにメンバーの大半が集まっています.みんなやる気満々ってとこですね.
午前中のリハーサルは落ち着いて弾くことができました.なんとなく本番も落ち着いていけそうな気分です.やはり昨日のビールは1本で良かった!
チューニング部屋にはマンドリンのオールド名器がずらりと並びまさに圧巻です.総額いくらになるのといった囁きが漏れるのも毎度のことです.
客の入りはまずまずの様子.14:00いよいよ本番スタートです.
1部1曲目の「“交響譚詩”より第一譚詩」(伊福部昭)はギター名手であった作曲者の兄へ捧げた曲で,第一譚詩は元気に遊びまわった子供時代の思い出とあります.エネルギッシュな曲でのスタートは気分が楽です.リハよりテンポが落ち着いて気持ちよく弾けました.
2曲目は「彷徨える霊」(U.ボッタキアリ)です.解説文にもあるように夢幻的な着想で書かれた当曲は高揚するロマンの薫りに溢れます.まさにボッタキアリの世界です.
3曲目が難関その1の「組曲“追憶”」(G.D.ミケーリ)です.15の管弦楽のための小組曲中,6番目にあたる曲で,早世した息子の追憶として書かれたようです.曲はまことに詩的でメロディーも実に魅力的なのですが,超高音をきれいに聴かせることの難しさや,速めのパッセージでの独特のリズム感など技巧的にも難度が高く,確かな技量が求められます.しかも高音パートからローネ,コントラバスに至るまで全パートに渡り同パッセージが繰り返されていくというタフな曲です.全パートともこの曲には相当な練習量を費やしたことでしょう.自分としては弾けない部分は別として落ち着いて曲を楽しめました.合奏としても本番が最上の出来だったように思います.
2部は「“弦楽のための交響曲第8番ニ長調”より第1楽章」(F.メンデルスゾーン)からです.D-durですので弾きやすく,気持ちの良い曲ですが,16分音符のスケール部分などではついつい力んで弾いてしまい,結果として走り気味となります.リハでは指揮者からとにかく走らないよう,落ち着いて品のある演奏をしようと注意が促されました.本番でもそんな演奏が出来たように思います.
2曲目は「“チェロ協奏曲第1番ハ長調”より第1楽章」(F.J.ハイドン).独奏はチェロパートの女性Sさんがリュートモデルノを使用し演奏しました.コンチェルトは演奏会での花形のプログラムとなりますが,独奏者にしてみればそれは大変なプレッシャーとの戦いとなります.これまでの合奏練習経過からすれば,不安を残したまま本番を迎えたのが正直なところでしょう.しかし本番ではこれまでで一番の演奏を披露してくれました.彼女が最後のカデンツァを弾き終えたとき私は涙腺が緩みました.本当に立派にソリストとしての役目を果たしました.後の打ち上げ会で彼女に伺ったのですが,当曲がプログラムとして決まった頃,私は録画してあった「小澤征爾さんと音楽で語った日~チェリスト・宮田大・25歳~」のブルーレイディスクを彼女にあげました.まさにこの曲を巡ってのドキュメントが内容でしたので,練習に役立つかと思い用意したものですが,大変参考になったと言ってくれました.少しはお役に立てたことが嬉しかったですね.
そして最後は「序曲“サウル王の悲劇”」(G.ボルツォーニ).難関その2です.とりたてて難しい音使いがある訳でもなく,突飛なリズムもありませんが,アレグロからのダウンピッキングがその速さについていけないのが厄介な課題でした.若手奏者にしてみれば難無くこなせるのかもしれませんが,私には少々きつかったですね.それとアレグロでのシンコペもついていけませんでした.重厚で暗くドラマチックな曲想としては,こうしたアレグロ部分をきっちり弾くことが対比させる上でも必要となる訳で,私としてはちと情けなさが残りました.ま,なんとか破綻無く最後まで弾くことはできました.
アンコールは昨日のコンクール課題曲「序曲“小英雄”」(G.マネンテ).打楽器を加えてのアンコールバージョンです.BFお得意のイタオリで気分良く弾きまくり,ばっちり締めます.
最後の最後は本演奏会のテーマにもつながる,東日本大震災被害者への祈りを込め「花は咲く」で幕となりました.歌唱メンバーの方々お疲れ様でした!
さてさて,晴天は最後までもってくれたようです.よかった,よかった.

マンドリンな一日2013(その1)

第2回全日本マンドリン合奏コンクールが昨年と同会場である昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました.
2回目ともなれば前回以上の盛り上がりが欲しいところですが,最終本選に出場を果たしたのは社会人2団体,学生4団体と大変寂しい状況での開催になりました.折角,日本のマンドリン界を代表する審査員を一堂にそろえているのに残念なことです.それと今回はコンクール翌日がBF定演と極めてタイトなスケジュールに追われましたので,BFメンバーとしてはコンクールに参加はしたものの,他団体の演奏を聴く間も無く,そそくさと練習場の東京芸術劇場へ移動しなければなりませんでした.本来であれば,他団体の演奏を鑑賞した上で審査結果を待つのがコンクールの楽しみなのですが,それが叶わず消化不良でした.大きなイベントを行う上での日程,会場確保はなかなか都合良くはいかないものですね.
来年の第3回も日程,会場が決まっていますが,とにかくエントリーが増え,新しい団体の出場を期待するばかりです.
それにしてもステージには魔物が棲むといいますが,普段ではやらないミスをやってしまうものです.ことにこの会場は周りの音が聴き取りにくいので,今回は席を詰め気味に座ったのですが,2拍ほど早めに音を出してしまったりして周りに迷惑をかけてしまいました.個人練習が足りないといえばそれまでですが,まさかあんなミスをしてしまうとは...いささか落胆しながら控え室に戻って来たのですが,聞けば他のメンバーも緊張感によるミスをいくつかしでかしているようでした.
練習終盤頃にコンクール会場から連絡が入り,BFは昨年と同じ「銀賞」とのこと.しかも「金賞」はこれまた昨年同様,西遠女子学園のみでした.メンバーからは溜息やら苦笑いが漏れましたが,すぐさま「BFの良さはライブ感だ!」とのことに.「金賞」は学生さんにお譲りするのが大人の団体ってもんです.とにかく明日のライブを精一杯頑張ろう!と17:00までの練習をきっちりやりました.帰り道ではほんのちょっとだけビールで乾いた喉を潤し,早めに帰宅して明日の準備にとりかかりました.

2013年7月25日木曜日

泣いても笑っても

いよいよBF定演まで残すところ3日間のみとなってしまいました.
今回はⅠ部にミケーリの技巧的難曲,Ⅱ部にはボルツォーニの体力的難曲の2峰が立ちはだかり,ついに乗り越えることができないまま本番当日を迎えてしまいそうです.
他にもエネルギッシュなオープニング曲や魂のポッタキアリなど脱力し難い曲が続き,気力,体力の持続が求められます.後半のメンデルスゾーン,ハイドンではできるだけ脱力した演奏を心掛けようと思います.
それにしても険しい2峰です.挑戦できただけでもBFメンバーとしての喜びとせねばなりません.

2013年6月28日金曜日

鎌倉紫陽花2013

先日の土曜日,三年ぶりに鎌倉を訪れましたが,以前とまったく同ルートを辿りました.
北鎌倉を降りてまずは明月院です.ここの青い紫陽花が今年はどんな咲き具合か,天候も前回同様の梅雨間の晴天です.つまりOM-Dによる写真が前回のコンデジのと比べどうなのかを比較してみたかった訳です.違ってくれないと困るのですが,結果として分かったことは機能を活かせていないということ,とほほ・・・.紫陽花自体はベスト状態で,いい写真が撮れました.OM-Dの機能を活かせたらより感動的な写真になっていたでしょう.
次は建長寺の白槙,鶴岡八幡宮の境内や参道,いずれも前回同様に印象的な景色でした.これら素晴らしい被写体をより印象的にするためのテクニックを身につけたいものです.
鶴岡八幡宮では境内にて民間の方の結婚式が行われており,古式豊かな装束を身にまとい,厳かな儀式が執り行われておりました.私としては妙なる調べを奏でる雅楽器の笙や笛に魅かれ,盛んにシャッターを押しました.
鎌倉駅に続く参道にはたくさんの土産物店や食事処が軒を連ねておりますが,なんとなく鰻丼が食べたくなり鰻屋の暖簾をくぐりました.本当に久しぶりに味わう美味に舌鼓を打ちました.神楽坂にあるガイド本で有名な鰻屋のに比べ,よほど旨い!もう一度食べに来たくなる店でした.次はカミさんを連れて来ることにしよう!
さて,あらためて明月院の青い紫陽花の撮れ具合を見てみました.青の微妙な色具合や背景のボケ具合などなかなかじゃないかな?なんて気がしてまいりました.

2013年6月25日火曜日

ARTE TOKYO第3回定期公演

ARTE TOKYO第3回定期公演は会場を昨年までの第一生命ホールから東京オペラシティ・コンサートホール・タケミツメモリアルに移しての開催となりました.席数でみれば770席から1630席への大幅増で,しかも全席指定です.さすがに勢いのある団体は違いますね.
今回のプログラムでは「舞踊風組曲第2番」(久保田孝)や「細川ガラシャ」(鈴木静一)を取上げ,昭和世代のマンドリンファンに対してのアプローチが感じられました.ARTEはメンバーのほとんどが平成生まれでは?と思われるほどの若手マンドリン奏者をそろえた新進気鋭の団体で,過去2回の公演プログラムも学生に圧倒的人気の丸本大悟や末廣健児らの作品で多くが占められておりました.もっとも彼ら自身がARTEメンバーでもあったのですが.したがって客層も20代が圧倒的で,私ども年配者は数えるほどしか見当たらず場違いのような思いをして聴いていたものです.
さて,演奏についてですが,さすがに若手奏者をそろえているだけあって,相変わらずエネルギッシュでスピード感にあふれた演奏スタイルにはある種の爽快感を覚えます.これらはすべてがコンダクター兼ディレクターである井上氏によるものです.指揮ぶりを伺うだけでそのカリスマ性が存分に発揮され,若い奏者達は文字通り,タクトの動きに促されるのが見て取れます.Allegroの速さは時に過剰とも思えるのですが,むしろLent,Adagioのたっぷりとした聴かせ方はその対比において非常に印象的です.ことに最終曲の「斎宮の記憶」(小林由直)において各楽器群が効果音を鳴らせる部分などは指揮の動きを止め,それこそある時間自由に弾かせることにより奏者だけでなく聴衆にもイマジネーションの増幅を図るような指揮ぶりはまさにマエストロそのものです.演奏会場の空気はそうしたオーラにいつの間にか包まれてしまっているのでしょう.
今回の演奏会に際して私としてはめずらしく事前に知らない曲目の予習をY-Tubeにてしてまいりました.「2つの動機」(吉水秀徳),「スタバート・マーテル」(藤掛廣幸)ともARTEが上質でした.指揮者による違いを見せつけてくれました.「斎宮の記憶」はARSNOVAの最終公演での演奏との比較なので興味津々でしたが,今回の演奏も感動的でした.でも自分が弾くとしたら,気力,体力がもたないだろうなとも思いましたが.
で,ラストアンコールでの昭和世代へのサービスが再登場.井上氏編曲と思われる昭和歌謡メドレー「木綿のハンカチーフ」~「見上げてごらん夜の星を」まで珠玉の名曲が並び,ついつい涙腺が・・・やっぱマンドリンの音色って琴線に触れるよなー.酒でも飲まなきゃ帰れないよなー,などとのたまわりつつ昭和男3人は居酒屋の灯りを求めて会場をあとにしたのであります.

2013年6月24日月曜日

祝!富士山世界文化遺産登録

20余年を要した富士山の世界遺産登録がようやく文化遺産として,しかも三保松原を含めて実現しました.静岡市に生まれ育った私としては富士山は当たり前に身近な存在であり,子供の頃に釣り好きだった父がよく連れて行ってくれた三保の海岸から見る富士,冬にはスキー,スケートにと富士五湖周辺に出かけて見た富士等,四季折々の富士の姿が思い浮かびます.
登ったのは大学2年の夏で,所属していたマンドリンクラブのイベントの一つとして参加したものです.夕方に5合目から登り始め,8合目あたりで休憩時に仰向けで眺めた夜空の流星がとてもきれいでした.頂上に着く寸前にご来光を仰ぐことになりましたが,これも感動ものです.すっかり明るくなった山頂に着き,あらためて見る眼下の世界は一面雲海に覆われ,足元の噴火口の景色とともに自然の雄大さに包まれるような感動を覚えたものです.幸い私は高山病にはならなかったのですが,数名の部員が体調をくずしたようです.それも下山の頃には回復したようで安心しました.下りは砂走りと呼ばれる一帯で,火山灰で覆われた坂を一気に駆け下りるものです.一旦走り出すと止めようがなくなる危険な下り坂ですが,なんとか下り切りました.今思えば若かったからできたのでしょうね.
「富士山に二度登るのは馬鹿だ」と云われ,それ以来登っていませんが,一度は登っておいて本当に良かったと思います.
今秋には定年退職となり,15年ぶりに故郷の静岡に戻るその年に富士山が世界遺産の姿で私を出迎えてくれるかのようで,ひとり勝手にほくそ笑んでいます.

2013年6月16日日曜日

新人研修

新入社員の自動車運転研修に随行してまいりました.
私自身も以前体験したことがあるのですが,一定速度で走行中の車に思い切り急ブレーキをかけ,ABS(アンチロックブレーキシステム)を体感するというもの.始めはなかなか踏み込めないのですが,慣れてくるとABSのポンピングブレーキを感じ取れます.こうして誰しもABSを作動させるブレーキングを体で覚えます.
カリキュラムの最終段階では模擬市街路走行を行い,コースには急ブレーキが必要となる場面がないしょで仕組まれています.ところがここで先に学んだフルブレーキングがほとんどできず,結果として事故を起こしてしまいます.
頭では危険な場所であることを認識したり,体ではとっさの反応ができるスキルを身につけているにもかかわらず,結果として事故を起こしてしまうのはなぜか?
教官が言うには,危険に対する認識度の差と,それに加え,実際に行動する(フルブレーキングする)かどうかの違いとのことです.現実の公道上では人をはねてしまうか,はねずに済むかの寸前の境目となります.
こうしたことは実は営業の仕事の成否にもつながるのではと考えられます.つまり,ある場面において,頭ではここは営業上のポイントと認識できたり,それなりの営業スキルを身につけているにもかかわらず,みすみす営業チャンスを逃してしまうといったケースです.まさにここぞという認識と覚悟,行動力が問われる訳です.「いまでしょ!」が流行るのも頷ける気が致します.
ゲーム感覚に慣らされた人はいつでもリセットする癖がつきまといます.人と人との仕事は一方的なリセットがききません.新入社員教育ではスキルアップのみの研修ではなく,決断と実行の大切さを教えるカリキュラムが必要かなと感じた次第です.もっとも新人さんのうちは失敗を重ねて仕事を覚えていくものではありますが.

2013年6月10日月曜日

BF合宿2013

今回の合宿は場所を埼玉の山奥に移して行われました.俗世間から隔離されたような山間にある民宿です.楽しみは夜のBBQと星空観測.これまでの合宿夕食会とはちがい,BBQは気分の解放感がいいですね.床をムカデがはっていたり,カミキリ虫が飛んできたりしますが,これも野外での一興です.夜はあいにくの曇り空で満天の星とはいきませんでしたが,晴れた夜はさぞかし素晴らしいプラネタリウムになることでしょう.
さて,肝心の練習の方はいよいよ追い込み段階です.昨年とくらべ難度がジャンプアップしており,弾き方の工夫や暗譜を含めかなりの練習量が強いられるプログラムです.1stメンバーも当初は弾き込み進捗にかなりのばらつきがありましたが,ここへきて各自が集中力を高めてきており,自分としてもうかうかしていられない状況です.難所克服にしぼって集中していかなくちゃ!

2013年5月25日土曜日

OM-Dはどこへ?

先日オリンパス社長のインタビュー記事が載っていました.世界シェア7割の消化器用内視鏡事業は好調のようですが,以前の不正決算による損害賠償対応のために増資が必要とのことで,不振のカメラ事業に一部取締役から完全撤退との意見が出ているそうな.先日は原宿で開催されたPENシリーズの新製品展示会にも行ってまいりましたが,まずまずの人気.ミラーレスカメラを牽引する企業がこのような発言をされますと,折角OM-Dを気に入って購入したユーザーとしましては甚だ心許ない気分です.これから交換レンズをいくつか買いたいなと思っているのに...というより,むしろ今のうちに最低限必要なレンズは購入しておかないと,いつカタログリストから消滅なんてことにもなりかねないかも.
ところで今時の高校生は語彙力が低下しているようで,オリンピックや歌舞伎を英字や漢字で書けない輩が多いとのこと.私はオリンパスは英字で書けますが.

2013年5月5日日曜日

撮影散歩(続)

連休散歩の続きです.
昨日はラ・フォル・ジュルネ目当てで丸の内に繰り出しました.今年のテーマは「パリ,至福の時」とフランス音楽がメインです.もともとこの催しは1995年フランスのナントで誕生した音楽祭であり,ディレクターのルネ・マルタン氏が「一流の演奏を低料金で提供することによって明日のクラシック音楽を支える新しい聴衆を開拓したい」とのコンセプトのもと,今ではポルトガルやスペイン,ブラジル,ロシアにまで広がりを見せています.
さて,私のクラシックでの好みはシンフォニーで基本的にドイツ系です.スラブ系のチャイコは勿論外せませんが.したがって,フランス系はあまり聴きません.サン・サーンス,ビゼー,ラヴェル等はまれに聴く程度です.ドビュッシーは私の中ではちょっと特殊な存在で,よく聴くCDリストに入れています.色彩感豊かなピアノ曲は気分を癒してくれます.
そんなわけで今回の催しへの関心は残念ながらいまいちです.東京フォーラムの屋外会場の雰囲気を写真に収めたり,ミニコンサートにちょっと耳を傾ける程度でした.ただし昨年の天候とはうって変わり,今年は連日の好天に恵まれ,人出は昨年を上回っているように感じました.
さて,きょうも晴天に恵まれ,絶好の撮影日和でしたのでお台場まで足を伸ばすことにしました.予想通り「子供の日」で親子連れが数多く訪れており大変賑わっていました.
それにしても晴れた日のウォーターフロントは快適ですね.空と海の青のコントラストがきれいに撮れました.
帰りはゆりかもめ汐留駅を下車して,一帯のシオサイト超高層ビル群間をぶらつきました.林立する建物それぞれに個性があり,とりわけガラスで覆われた壁面に隣のビルを反射してそそり立つ姿は空の青さも同時に映し込み実に美しい!何といってもその呆れるほどの高さには圧倒されてしまいました.
こうした高さや視野の広さを写真で感じられるのは,これまでのコンデジカメラより広角のレンズを備えているからで,今後益々,より広角,より望遠のレンズが欲しくなることでしょう.ズーム1本だけでは一眼カメラを持つ意味がありませんからね.

2013年5月3日金曜日

撮影散歩

GW後半はもっぱらOM-Dを携えての街並み散歩です.
昨日は都庁をメインに新宿副都心をぶらつきました.モード学園コクーンタワーは数ある副都心のビル群の中でもそのデザインの斬新さでアピール度抜群です.一方,古くから建つ安田火災ビルもそれなりに味があり安定感が感じられます.そしてなんといっても都庁舎ビルの威容!いつ見ても,副都心の中心として別格の存在感を放っています.今回は南棟展望台からの大都市東京の眺望を楽しみました.はるか遠くまで見通せるビル群と晴れ渡った青空とのコントラストが写真撮影にはベストマッチです.
午前中でしたのでそれほどの混みようではありませんでしたが,中国系や韓国の他,白人系も多く来館していました.外国人にはこの景色はどのように映っていたのでしょうか.
きょうは丸の内界隈の散歩です.丁度ラ・フォル・ジュルネがきょうから始まるのですが,きょうも天気が良いので屋外での散歩と撮影を楽しむことにしました.先日,東京駅舎の撮影時に見逃していた,リニューアル郵便局(KITTE)を覗きました.東京限定の切手が発売となっているので欲しかったのですが,きょうは手荷物になるのでやめときました.
丸の内仲通りに出て向うは三菱一号館美術館です.近代的なビルがひしめく丸の内界隈でレンガ造りのレトロな建物は目をひく格好の被写体です.このあたりの丸の内ブリック・スクエアはビジネスマンらが憩いの一時を過ごす場所でもあり,新緑が映える今は撮影にも最高の時季です.
ついでにすぐ近くにある娘の勤め先のビルも記念に一枚.
好天に誘われて,皇居前に来ました.きょうは馬場先門からの入場です.楠正成像が眼前に迫ってくると,近くにいた白人観光客らが「サムライ!」と叫びつつ,さかんに写真に収めていました.私も小学校修学旅行での写真が残っています.
次は二重橋.ここはもう団体客やら外人さんだらけでごった返しておりました.晴天,無風で皆さん良い記念写真が撮れたことでしょう.
城内へ入るため大手門へ向います.ここから天守台までにはいくつかの番所や濠,石垣等の被写体が続きます.行き交う人の多くにデジタル一眼カメラが見受けられました.
天守台からは広大な城内とその先に取り囲むように林立する近代ビル群が望めます.こうした視野に立ちますと,数百年前の時代に想いを馳せながら今との時間差を感じ取れます.
ここからは出口である平川門まで下って行きました.大手門から平川門までかなりの枚数を撮りましたが,好天に恵まれ良い写真ができました.OM-Dのバッテリーも今回は充分でした.
さて折角のGWを一人でぶらついているのは,カミさんは京都へ弓の試合,娘はシンガポールへ旅行に出かけていて,私一人が東京に残っているような次第.ま,OM-Dの試写には格好の機会ではありますが...明日はどこへ行こうかな.

2013年5月1日水曜日

横浜ベイクルーズ

娘が友人の結婚式二次会ゲームでゲットした横浜ベイクルーズ&ディナーのチケット.早速家族で出掛けました.
横浜は数年前に山下公園や中華街を訪れて以来2回目です.日本大通り駅からまずは赤レンガ倉庫に行ってみました.晴天下でヨコハマ・フリューリングス・フェストが催されていました.これはドイツ各地で開催される春の訪れをお祝いする「春祭り」です.ビール好きの私にはよだれものでしたが我慢して見学だけにとどめました.
横浜は港町だけに至るところに異国情緒が漂います.大都市東京に近いながらも独特の街の雰囲気を持ち,東京とは一線を画しているような気がいたします.
ベイクルーズは17:10出航.クルーズ船は全長約90mの白亜の船体です.ふと新婚旅行で乗船したハワイのクルーズ船を思い出しました.中華バイキングをいただき,夕暮れ時にはデッキにて横浜港のサンセットを楽しみます.そうそう,買ったばかりのデジタル一眼カメラでとにかく撮りまくりました.船上から見るランドマークタワーや大観覧車のトワイライトシーンは印象的です.カミさんと若かりし頃訪れていたら感動的なデートだったかも.でもその頃はランドマークタワーは無かったし,ずいぶん景色はちがっていたはずですよね.
このところ娘の企画でお出かけが多いような気がしますが,東京での家族そろっての生活がもうあとわずかしかないことが気持ちの上で拍車をかけているのかもしれません.娘も自分の生活,人生を自分なりに歩まねばならない年齢です.子は親離れを,親は子離れをしなくてなりません.
今宵は家族のそれぞれがこれからの人生に思いを馳せた一時だったような気がいたします.

2013年4月28日日曜日

ミラーレス一眼GET!(続)

早速,OM-Dの試写に朝から出掛けました.場所はこれまで一番撮り収めたと思われる日本橋界隈です.橋のたもとに咲く桜との出会いも6回を数えました.中々開花してくれない年,あっという間に咲き散っていった年等々,なんの変哲もない通勤風景に季節感と彩りを添えてくれた都会に根をはる桜です.
きょうはゴールデンウィークの初日で好天なのでかなりの人出かと思いきや,それほどでもなく撮影も難なくできました.撮影とはいってもすべてオート設定ですのでなんの苦もありません.ただシャッターを押すだけ.とにかく撮りまくりました.
澄み切った青空に突き出る高層ビルの姿は端正であり,構図も思い通りにしやすい恰好の被写体です.日本橋三越本店を皮切りに三井タワービル,三井信託銀行,コレド室町,日銀本店を撮った後,日本橋をあらゆる角度から撮ってみました.日本橋川を改めて眺めてみますと,川に沿って川の上面をずっと高速道路に覆われているなんて自然ではないのでしょうが,いかにも都会的で,最初からこの風景を目にしている者にとってはこれが当り前の景色になっています.
この後はコレド日本橋,高島屋本店を撮りました.一部店内も撮ったのですが,やはり屋外と屋内では明るさやピントの具合が微妙な結果でした.やはりデジタル一眼カメラなのでマニュアル設定での撮影感覚を身に付け,よりクオリティの高い写真を撮りたいものです.その結果としてより焦点距離の長い望遠レンズや接写用のマクロレンズを含め,より明るい単焦点レンズが欲しくなるのでしょう.
日本橋さくら通りを歩き,八重洲地下街を通り抜けると丸の内側に出ます.この辺りは被写体には事欠きません.東京駅舎を始め丸ビル,新丸ビル,郵便局等々,いずれも魅力的な対象です.
特に東京駅舎はその広大な横幅から,広角レンズが出番となります.いつものごとく新丸ビル6Fベランダからの眺めは溜息ものです.
たかだか130枚程の撮影で電池残量が減と表示されましたので,帰りに新宿駅前家電屋でスペア用のリチウムイオン電池と16MのSDカードを買ってきました.ほとんどカメラ購入時のポイントでカバーできましたがこれだけで9,000円の出費.レンズとなれば桁が上がります.やれやれやっかいな物に手を出してしまいました.

ミラーレス一眼GET!

さんざん迷った末,ついにデジタル一眼カメラを購入しました.迷いのもとは①デジタル一眼レフかミラーレス一眼か?②どのメーカーにするか?③カメラボディの色は?の3点です.予算は10万円前後まで.
これまで私が使用していたカメラはいわゆるコンデジと称されるコンパクトデジタルカメラですが,このところ至る所でデジタル一眼レフカメラを見かけるようになり,残り少ない東京生活をよりきれいな写真で残したい気持ちが高まり,購入検討を始めました.
まず①ですが,一眼レフでは発売したてのキャノンEOSKissX7iに注目.いかにも一眼レフカメラといったがっしりボディとエントリーモデルにしては高機能さが売りです.一方ミラーレスは今では台数として過半数を占めるまでになり,機種も大幅に増えました.そんな中,デザインで目をひいたのがオリンパスのOM-Dです.同社往年の一眼レフカメラを倣ったといわれるレトロなデザインですが,機能的にはミラーレスとしての最新技術を惜しげもなく投入した中身の濃いモデルとなっています.このギャップになんとも魅かれるものを感じました.ちょっと気になるのが撮像素子のサイズ.X7iのAPS-Cに対しOM-Dはマイクロフォーサーズ(MFT)で少し小さめです.この差がどの程度のものなのかはよく分かりませんが,大きい程画質が高いのは事実のようです.
最後までX7iが気になりつつも,やはり携帯時の利便性を優先しミラーレスを選ぶことにしました.ミラーレスの世界にも最後の巨人キャノンが加わり,高性能ミラーレスの選択肢が増えました.しかもほとんどがAPS-Cを採用しています.小型のMFTはパナソニックとオリンパスのみ.ちと分が悪いようではありますが,この2社こそがいち早くからミラーレスを開発,発売していました.ミラーレスの特性である軽量コンパクトを活かすにはレンズ自体も小型でなくてはとの考えから生み出されたのがMFTのサイズではないかと思います.このほかOM-Dには強力な手ブレ補正機構や防塵防滴仕様を備え,私のようなビギナーでも安心して使えるカメラとの印象がファイナルアンサーに導いたような気が致します.
さて,あと残るはOM-Dのボディの色です.ブラックとシルバーの2択しかないのですが,これも大いに迷いました.レトロな雰囲気を醸すシルバーボディは40年以上も前,弟が持っていたミノルタSRT-101が記憶に残っていたからです.最終的にはOM-Dのパンフレットに記されていた「洗練されたシルエットを包み込む深みある黒...」が効きブラックにしました.
今,私の手にある黒い小型の精密機械は確かな重量感とともに心地良い所有感を与えてくれます.

2013年4月22日月曜日

プレソ演奏会

ほんとはBFの練習日だったのですが,プレソの演奏を一度は聴いておきたいと思い,会場の浜離宮朝日ホールへと向いました.天候はあいにくの雨模様です.
1曲目「ローラ序曲」(ラヴィトラーノ)は好きな曲の1つなのですが,いまだに私は本番では弾いていません.いつか必ず弾きたいと思いつつ聴いていました.この曲への私のイメージとしては大人数での合奏なので,プレソの人数ではちょっと物足りなさが残りました.
「抒情小曲集」(グリーク)はほとんど印象に残らず.
「ジェノヴァ市に捧ぐ」(ボッタキアリ)は一昨年,BFで弾いたので曲想の比較をしていました.1,3楽章はちょっと間延びしたような.2楽章は難所をしっかり弾いていました.4楽章はわずかに速めに感じましたが,これもしっかりです.各奏者とも弾けてるようですが,全体としてのどっしり感が今一つです.トップが弾けるのは当たり前なのですが,音がパートのかたまりとして聴こえてこないのです.ホールのせいでしょうか.ドラトップの音は印象に残りました.
後半は「ディベルティメント」(シェコフ)から.奏法の工夫から繰り出される音色の妙が楽しめました.
「主題と変奏」(ミラネージ)は難曲のようですが,奏者それぞれの入れ込みが感じられ,聴き応えがありました.
ラストの「セントポール組曲」(ホルスト)は私が岐阜にいた頃弾いた曲で懐かしく聴かせていただきました.演奏もしっかりしたもので,リズムとメロディーの調和が破綻なく流れ,満足感が残りました.それにしても相変わらず小穴さんの指揮は独特で面白いですね.
各奏者はいい楽器を使っていますし,奏法の工夫も存分になされているようで,全体としてはレベルの高さを充分に感じさせます.でも音がpであれfであれ,パートのかたまりとして聴こえてこないのがちょっと残念です.おそらくホールによる響きの違いや聴く位置,天候のせいなどによるものでしょう.第一生命ホールで聴いていたら違った印象だったかもしれません.

2013年4月13日土曜日

義母の葬儀

先日,義母が亡くなりました.享年96歳の大往生でした.ここ数年は視力や聴力が衰え,話しかけても通じているのかどうか定かではないのですが,なんとなく分かっていただいているようでした.大正,昭和の激動期を生き抜き,貧しいながらも8人の子供を育て上げ,一家の主亡き後も家を守り抜いた一人の女性として尊敬致します.最後の御顔はすべてから解き放たれた安らぎに満ちておりました.
私は仕事柄,得意先や社内の葬儀に幾度となく参列した経験がありますが,葬儀はその地方特有の儀式があり,形式は様々です.身内の通夜からの経験は今回が初めてでした.恥ずかしながらこの年になって葬儀のしきたりや意義等について考えさせられました.自らの「死」が身近になった証左でもあります.
今朝の新聞記事には時節柄,左遷についての論評が掲載されていました.自分の実力を誤認しているナルシスト,自分をさておき他人をとやかく言いたがる評論家,これらに共通するのは自分を客観視できず「自分が思っている自分」と「周囲から見られている自分」との間の大きなギャップに気付いていないという現実があります.これが自分の意としない異動を「左遷」と思い込むのだとのことです.これまでの自分を振り返りますと公私ともに当てはまることが多々あります.
義母の実直な生き方にあらためて触れてみて,いろいろと思い至ることの多いここ数日でした.

2013年4月6日土曜日

節目

サラリーマン人生最後の年度末を迎えました.幸い全社下期計画,年度計画とも完遂し,いい形で年度の区切りを迎えることができました.誰にともなく感謝したい気持ちです.4月1日からまた新たな年度がスタートしました.このような年度の節目を幾度となく繰り返し経験してまいりましたが,今回は特別な感慨をもって迎えることとなります.
先日の休日に映画「鉄道員」(1958年イタリア)を観たのですが,主人公である頑固な鉄道員に自分の姿が重なりました.会社に対して,家族に対して頑固一徹に振舞う様はあたかもこれまでの私自身にそっくりではないかと.主人公は最後には安寧の永眠につくこととなりますが,果たして私は?
それにしても当映画のテーマ曲もサウンドトラックとして有名ですが,実にいい曲ですね.ギターの単音で奏でられる哀愁を帯びたメロディー.映画「いそしぎ」同様,音楽から先に入った映画ですが,サウンドトラックに収録されている映画の最後の部分は泣けます.
さて残り少ないサラリーマン人生もこれまでのスタイルは変わらぬまま貫かれるんだろうな...

2013年3月23日土曜日

東京の桜満開

今日まさに東京は桜満開日を迎えます.
本来なら一番の名所に桜詣でに出掛けているはずですがやめました.理由はBFの練習日と重なったからですが...
まず東京での一番の名所とはどこか?私としての残る名所は六義園の枝垂れ桜あたりとなるのですが,実は昨日会社帰りにカミさんと夜桜でもと神楽坂にて待ち合わせし,急遽六義園に向いました.ところが当地は夜桜鑑賞客の長蛇の列でいつになったら入れるのかといった状態でした.東京での有数の桜名所を甘く見ていました.諦めて,JR駒込駅付近の桜を眺めながら東京の桜満開を感じ取ることにしました.
BF練習会場である東京芸術劇場前の桜もまさに満開でした.別に名所の桜だけが桜じゃないよとでも言いたげに目一杯咲き誇っておりました.
BF練習場には定刻よりわずかに遅れて着いたのですが,1stメンバーが3名しかいないことにびっくり!通常は7~8名は集まるのに...しかも1stでの低音部は私のみ.こりゃすごいプレッシャーですが頑張るしかないですね.
本日のBF練習での1stは満開とはいきませんでしたが,練習会場前の桜と同様,自分なりに満開で弾きましたよ.
練習後の飲み会では山口県の酒,「獺祭(だっさい)」を初めて飲んで,そのフルーティな味わいに感激しました.山形県「十四代」に通じる味わいでした.

2013年3月16日土曜日

椿姫

今年はヴェルディとワーグナーの生誕200周年に当たるようです.私はクラシック音楽は好きなのですが,オペラにはとんと縁がありません.敷居が高いというか,ついつい敬遠気味です.
今日はふとしたことから,新宿文化センターでフレッシュ名曲コンサート第一弾としてヴェルディ生誕200周年記念演奏会を聴いてまいりました.曲目はオペラ初心者にもわかりやすい「椿姫 ”La Traviata”」です.オケは東京交響楽団.演奏会形式でハイライトの公演でしたのでオペラの雰囲気を味わうといったものです.イタリア語上演ですが,字幕付きですので話の展開はわかりやすいです.ソプラノのサンドラ・パストラーナは美貌で華奢な体でしたが立派に歌いきっていました.最高音部のffで声が荒れたような部分がありましたが,わざとそう歌っているのか私にはわかりません.なにせオペラの生声は初めて聴くものですから.でも会場で聴くオペラの声は感動的ですね.オペラ好きが高額を払ってでも一流オペラを聴きにいく訳がちょっとわかりました.ハイライト版でしたが充分楽しめました.いやハイライト版だったからかも知れませんが.

2013年3月10日日曜日

春の訪れ

今週は日中気温が20℃を記録するなど4月下旬を思わせる陽気となりました.朝の通勤時,前を行く女性の花柄の薄手スカートが歩みに合わせ軽やかに揺れます.これまで厚手のコートに覆われていた花達が陽気に促され,蕾からはじけ出るが如くです.通勤風景に彩りを添えるこれらの花達は確実に増えてくることでしょう.自然に気持ちが浮揚してきます.
春の兆しは招かざる訪問者も連れてまいります.今年の花粉はPM2.5や黄砂の襲来と相まって例年以上に人々を悩ませます.
3月,春の訪れは浮き立つ気持ちや悩ましさをひっくるめ,3度目の3.11を迎えます.

2013年3月3日日曜日

いそしぎ

以前録画しておいた映画「いそしぎ」を観ました.
自由奔放な女性画家ローラ(エリザベス・テーラー)とミッションスクールの校長であり牧師でもあるエドワード(リチャード・バートン)とのたまさかの逢瀬を描いたもので,「いそしぎ」を題名とした意味がなんとなくわかる気がしました.
「いそしぎ」のテーマ曲はマンドリンで幾度となく演奏したことがありながら,映画を観てなかったので,曲名「The Shadow of Your Smile」から勝手にイメージしながら単に楽譜を追っていただけです.そもそも「いそしぎ」の意味すら知りませんでしたので,ずいぶんいい加減なものです.こうして観てみれば主人公の名はラビトラーノの「ローラ」だし,ローラの部屋にはマンドリンが飾ってあったし...
それにしてもエリザベス・テーラーの妖艶で綺麗なこと!まさに役柄にぴったりです.私としては清楚で従順な妻クレア(エヴァ・マリー・セイント)にも魅かれてしまいますが...
やっぱり名だたる映画は観ておかなくっちゃ!

2013年2月27日水曜日

初九州

この土日月の3日間は家族で温泉旅行に行ってきました.行先は九州大分別府温泉,由布院温泉です.娘が私の還暦祝いにと企画してくれました.
別府では「鉄輪(かんなわ)温泉」の地獄巡り,夜は別府歓楽街の一角にある「竹瓦(たけがわら)温泉」,硫黄臭の強い高酸性度の「明礬(みょうばん)温泉」,美肌湯で評判の「ひょうたん温泉」等,代表的な温泉をたっぷり堪能しました.食事では豊後牛やだんご汁,とり天うどんなどの名物を味わいました.
二日目夕方からは由布院温泉です.温泉名,JR駅名は由布院,高速道路のICは湯布院,平成7年に旧由布院町と湯平町が合併して誕生したのは湯布院町とちとややこしい.地理的には狭い温泉地ですが眺めの良い由布岳や幻想的な金鱗湖を備え,観光地として整備された街並みは人気の高さを裏付けるものです.観光客も年配者から若者まで幅広く,韓国人も多く訪れていました.
こうした有名な温泉地を数多く抱える大分県は源泉数や湧出量は日本一で,昨年,観光キャッチコピーとして「おんせん県」を特許庁に商標登録申請したと昨日の朝刊に載っていました.
私にとって初めての九州の地は連日抜けるような快晴で迎えてくれました.浸かる湯に癒されるとともに,娘の温かい心遣いが身に染みわたる冬の休日でした.

2013年2月11日月曜日

冬の新宿御苑

立春過ぎとはいえ2月寒中真っただ中ですが,穏やかな陽の光に誘われて散歩に出かけました.目的は新宿御苑で見頃だというロウバイです.
ここへ来るのも3年半ぶりとなります.前回は夏の盛りを過ぎた頃でしたので,青々とした芝生におおわれていた公園も今は一面冬らしい麦藁色です.冬の朝の公園は訪れる人もまばらで,冷気につつまれた凛とした空気がなんとも爽やかです.
そんな公園の一角にロウバイが数本並んで花をつけていました.ここにあるロウバイはソシンロウバイ(素心蝋梅)といって中国原産の落葉低木のロウバイの園芸品種で,花の中心部分まで黄色く,ほのかな芳香があるのが特徴です.思ったよりずっと小さな可憐な花でした.下方から眺めてみますと澄んだ青空に黄色い天使達が舞っているかのようです.
次に目に入ってきたのはカンツバキの並木です.カンツバキ(寒椿)はサザンカとツバキの交配種で,寒に咲くツバキが名前の由来です.花弁が1枚ずつ落ちる点はサザンカに,花弁と雄しべが合着する点はツバキに似ているとのことです.冬に咲く紅色は寒中に映えます.
しばらく歩を進めますと白い花の群生が見えてきました.ペーパーホワイトというスイセンの一種です.ニホンズイセンは花の中心部が黄色ですが,こちらはすべて白色.より小型で花弁も細めなので,よりいっそう繊細さを感じさせます.この白い花達の足元の合間にくっきりとした黄色を放ち咲く花はフクジュソウです.地面から顔を出し,しっかりと花弁を開く黄色い花はまさに春を呼ぶにふさわしい面持ちです.
さて,こうした花達を求めてやってくるアマチュアカメラマンも多く,老若男女を問いません.しかもほとんどの方が立派なデジタル1眼を携えています.レンズも広角から望遠まで多種です.私みたいにオモチャみたいなコンパクトデジカメの方はごく少数でちょっとみじめだったりします.でもゴツくて重たそうだし・・・私みたいなめんどくさがりにはミラーレス一眼カメラあたりが合うかもしれません.その内欲しくなりそうです.
次回ここに来る時はフランス式整形庭園のプラタナス並木,バラ花壇を写真に収めようと思います.ミラーレスを携えて.

2013年2月10日日曜日

レ・ミゼラブル(続)

感動的な映画でしたので,Webで映画情報を探ってみましたら,評判の作品だったんですね.
文豪ビクトル・ユーゴーの小説「ああ無情」は世界各国でミュージカルとしてロングラン上演されています.今回のミュージカル映画化にあたってはオスカー受賞監督であるトム・フーバー監督がヒュー・ジャックマン(ジャン・バルジャン役),アン・ハサウェイ(ファンテーヌ役),ラッセル・クロウ(警官ジャベール役)らの豪華俳優陣を相手にメガホンをとっています.ミュージカル映画というと録音を先取りし,映像は口パクといった方法がとられるのが一般的らしいのですが,今回は実際に歌唱している映像を使っているとのことです.したがって映像としてのダイレクト感があり,感情の伝わりが違います.いずれの俳優の歌唱とも素晴らしく,特に歌唱が重なるところなど否が応でも感情を昂ぶらせてくれます.個々の場面ではファンテーヌの歌う「夢やぶれて」は涙無しでは見れません.また,片想いに終わるエボニーヌ役のサマンサ・バークスの絶唱も同様です.しかしなんといっても素晴らしいのはほぼ全編にわたり歌い続けるヒュー・ジャックマンの表現力豊かな歌唱力と演技力でしょう.演技力といえばファンテーヌが極貧の女工から売春婦に堕ちていく姿,髪を無残に切られていく様はまさにアン・ハサウェイ迫真の演技でした.一方,警官ジャベール役のラッセル・クロウは演技として犯人を執拗に追うといった一途な面は充分ですが,歌唱としては一本調子な感じを受けました.でもそれがかえって役柄を引き立てる効果があったかもしれません.
当作品は19世紀の革命後のフランスを舞台背景にしたミュージカルがベースですが,そこに一貫しているのはキリスト教的宗教観です.罪深き人間が神に召されることによりすべてから解脱するといった概念ですが,もっと単純に「他人への慈しみ」がメッセージとして込められているのだろうと思います.ポスターのサブタイトルには「愛とは生きる力」とあります.
世界経済混迷の中,日本も景気低迷が長く続き人心は荒んでいるような気がいたします.今後の社会の仕組みを大きく変えるであろう選挙にも盛り上がらない国民に対し,「レ・ミゼラブル」の上映は何かしらの問いかけをしているように感じました.
昨年12月21日の公開以降,すでに41億円超の興業収入を記録し,これまでトップだった「オペラ座の怪人」を抜き,国内ミュージカル映画として堂々の1位となりました.今月末に控える第85回アカデミー賞でも主要8部門でノミネートされるほどの注目作品です.
映画「レ・ミゼラブル」は堅いこと抜きにミュージカルの壮大さを味わえる,これこそ映画館で観るべきミュージカル映画であることは間違いありません.

レ・ミゼラブル

この3連休はまったく予定無しで,土曜日はカミさんもフリーとのことで映画でも行こうかということになりました.映画館は有楽町マリオンにあるTOHOシネマ.丁度,昨年の3月にも同館で「鉄の女」を鑑賞しましたのでほぼ1年ぶりの入館となります.昼食も前回と同じ,有楽町ガード下の「まんぷく食堂」でまんぷくスペシャルランチ@980円です.店は満員で,皆さん昼からビールやら焼酎,日本酒を楽しんでいます.熱燗でも一杯といきたいところを我慢,我慢.
本日はビクトル・ユーゴーの作品で有名な「レ・ミゼラブル」のミュージカル映画です.大まかなストーリーは分かっていたのですが,ミュージカル効果のせいか,悲哀の場面がより増長され,ひたすら涙腺を緩ませます.年を重ねるにつれ涙もろくなっているところでもあり,もうどうしようもありません.当作品は監督から俳優陣にいたるまで豪華キャストであり,作品として見応えがありました.何気なく出掛けた映画鑑賞でしたが存分に楽しむことができました.

2013年2月3日日曜日

BF練習曲

今年度のBF練習曲はまっこと難しい!
その最たる曲はミケーリ.4楽章からなる大曲ですが,メロディーといい,リズムといい,和音といいいわゆる音楽の3要素すべてが実にマンドリンで弾き辛い作品です.やりがいとしては申し分無しと言いたいところですが,とにかく個人練習で弾き込んで頭に叩き込むしかないですね.でも出来上がりを想像するといつの間にか入れ込んでしまっている自分が見えてきそうです.曲名通りのイメージが出せれば成功です.
その他のオリジナル曲,クラシック編曲作品もこなしていくには相当のエネルギーが必要となります.ただでさえ集中力低下が気になるこの頃ですが,じっくり取り組んでいきたいと思います.

2013年1月4日金曜日

2013年明け

穏やかな陽の光が射し込み,新しい年が明けました.
私にとりましては60回目の年明けとなり,とりわけ特別な年となります.
秋には定年退職を迎え,36年7ヶ月のサラリーマン人生を終えることとなります.
大学時代におぼろげながら希望していた職業とはかけ離れた仕事に就きましたが,人並みに結婚し,子供を育て,マイホームを得ながら,転職することなく勤めきるところまできたことに我ながら感慨無量といったところでしょうか.
実感は定年後に改めて記すこととして,今年の年賀状にはこれまでお世話になった方々のご厚情に感謝の意を表わしました.賀状のやりとりはその年の節目として欠かせない行事だと思いますが,今年はその意義により深く感じ入りました.
さて,新年のCD初聴きにはショスタコービッチ交響曲第10番とブラームス交響曲第1番を選びました.ショスタコ10番は私が生まれた1953年に初演された曲で,スターリン死後にその抑圧から解放された中で作曲された交響曲として様々な物議を醸した作品です.エリアフ・インバル指揮,ウィーン交響楽団1990年録音盤です.ブラ1は毎年聴くのですが,今年はクルト・ザンデルリンク指揮,ドレスデン・シュターツカペレ1971年録音盤です.
本年も有意義な年となりますように.