2017年3月12日日曜日

6度目の3.11

昨日は東日本大震災から6年目を迎えました.この日の昼は郡山の友人が送ってくれた喜多方ラーメンを食べ,午後2時46分には福島方面に向かい黙とうを捧げ,マーラーの「復活」を聴き,お茶を飲みながら,これも送ってもらった「いかにんじん煎餅」をかじる.福島の友人を思い出す6度目の3.11です. さて,きょうは母校東高マンドリン部の定期演奏会第3部(現役生とOBの合同演奏)の初練習日でした.元気一杯の後輩部員らと共にこうしてマンドリンを弾いて楽しめるこの一瞬一瞬にほのかな幸せを感じます.

2017年3月9日木曜日

登呂遺跡

実は芹沢銈介美術館は登呂遺跡に隣接して建てられています.それにしても登呂遺跡を見て回るなんて,小学生の見学会以来ですから50数年ぶりにもなるのでしょうか.当時からすればかなり整備が進んだようです.  資料によれば,特別史跡登呂遺跡は昭和18年に太平洋戦争に伴う軍需工場建設の際に発見され,その後の調査により弥生時代の稲作農耕集落遺跡であることが判明しました.昭和27年には特別史跡に指定され,その後の再発掘調査(平成11~15年),再整備工事(平成18年~23年)により,弥生時代後期の登呂遺跡の集落景観により近い歴史公園として整備公開されました.  芹沢銈介美術館の出入り口を出た正面に,再整備以前に復元された住居と高床倉庫があります.そこから歩みを進めますと再整備された「東側居住域」が見えてきます.ここには4棟の住居と2棟の高床倉庫,1棟の祭殿跡が復元されています.  弥生時代の水田跡を通り抜け美術館方面に戻りますと,登呂博物館(昭和47年開館)に着きます.1階は体験展示室として土器や石器づくり,火起こしの体験ができます.2階常設展示室には遺跡から出土した実物の遺物が展示されています.小学生当時には無かった建物ですが,子供から大人まで楽しめる展示施設となっています. 久しぶりにこの地に身を置き,悠久の時の流れを感じながら,古代へのロマンに浸ることができました. 
再整備前の住居と高床倉庫
再整備後の住居と高床倉庫
住居正面
住居内部
祭殿跡
静岡市立登呂博物館
木製農具等
土器類
住居群と水田跡

芹沢銈介美術館

先月末に静岡市郊外にある芹沢銈介美術館に行ってまいりました.かねてより訪れてみたかった当館ですが,このたび開館35周年記念として「パリのセリザワ」展が開催されておりましたので丁度良い機会でした.  静岡市で生まれた美術工芸家芹沢銈介は,フランスの画家バルテュスに見出され,その後美術評論家レマリーの尽力により,1976年パリのフランス国立グラン・パレでのSerizawa展開催につながります.当時のパリ市民にはまったくの無名作家でしたが,市内各所に数多くの「風の字」のポスターが貼られ,地元紙にも高評価が掲載されて一躍評判となり,多くの入場者を集めることとなりました.  今回の「パリのセリザワ」展では当時展示された作品80点が再び集まりました.のれん,屏風,着物,染絵額,肉筆手控帖,装幀本などの代表作の他,グラン・パレでの展示計画のための模型や展示什器,スナップ写真,新聞記事などパリ展関連の資料も多数公開されました.  展示作品はいずれも素材の持ち味を生かした色彩感あふれるものばかりで,当時のパリ市民が異国の芸術品の美しさに感動した様子が浮かんでまいります. 芹沢銈介は出生地が私とごく近所でもあり,親しみを感じるとともに,同郷の誇りでもあります. 
静岡市立芹沢銈介美術館
入口手前
中庭の噴水
入口 館内は写真撮影禁止
パンフ表紙
パンフP1
パンフP2
パンフ裏表紙