2013年4月13日土曜日

義母の葬儀

先日,義母が亡くなりました.享年96歳の大往生でした.ここ数年は視力や聴力が衰え,話しかけても通じているのかどうか定かではないのですが,なんとなく分かっていただいているようでした.大正,昭和の激動期を生き抜き,貧しいながらも8人の子供を育て上げ,一家の主亡き後も家を守り抜いた一人の女性として尊敬致します.最後の御顔はすべてから解き放たれた安らぎに満ちておりました.
私は仕事柄,得意先や社内の葬儀に幾度となく参列した経験がありますが,葬儀はその地方特有の儀式があり,形式は様々です.身内の通夜からの経験は今回が初めてでした.恥ずかしながらこの年になって葬儀のしきたりや意義等について考えさせられました.自らの「死」が身近になった証左でもあります.
今朝の新聞記事には時節柄,左遷についての論評が掲載されていました.自分の実力を誤認しているナルシスト,自分をさておき他人をとやかく言いたがる評論家,これらに共通するのは自分を客観視できず「自分が思っている自分」と「周囲から見られている自分」との間の大きなギャップに気付いていないという現実があります.これが自分の意としない異動を「左遷」と思い込むのだとのことです.これまでの自分を振り返りますと公私ともに当てはまることが多々あります.
義母の実直な生き方にあらためて触れてみて,いろいろと思い至ることの多いここ数日でした.

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