2015年6月17日水曜日

目利きの仕事

先日の映画「間奏曲はパリで」の原題は「La Ritournelle」です.フィトゥシ監督によれば悪く言えば“ルーティン”の意味で,日常繰り返される夫婦のありふれた生活を表わしているのですが,“シャンソン”の意味もあるとのことです.妻が時折耳にする音楽や歌も重要な役割となっているので音楽を連想させるようなタイトルにしたようです.そうした背景を考慮しても,しゃれた邦題をつけたものだと感心します. さて,先日見ていたテレビ番組で,ビートルズ初来日時のエピソードを明かした内容のものが放送されました.その中でビートルズの本邦発売シングルレコードのタイトルを原題通りではなく,意訳した和名とすることにより日本のファンに受け入れられ,大ヒットとなった話題がありました. さて,いよいよNHK番組「クローズアップ現代」で取り上げられた“目利きの仕事”です.コンピュータのめざましい進歩により,近い将来,人の仕事に取って代わる分野が出現し,失業者が続出する恐れがあるようです.確かに膨大なデータを処理するだけの業務であれば,コンピュータの方が圧倒的に優れ効率的に仕事をこなしてしまうでしょう.スマホ等の普及により現代人は情報をいとも簡単に取り出すことが可能となりましたが,その有り余る情報量に埋没し,本来の目的に情報を活かしきれていない現実が浮かび上がります.そこで注目されるのが“目利き”の作業です.個々人にとって本当に必要としているものは,単なる“もの”ではなく,固有の感性を刺激するものなのです.ですので“目利き”の作業はコンピュータではできません.これは人とコンピュータとの将棋戦に似ているような気がいたします.すなわち,コンピュータは人による“直感”や“捨身の戦法”に対して計算が及ばないのであろうと思います. このところ国立大学文系の縮小化が話題になっておりますが,これこそ時代に逆行する愚策ではないでしょうか.物や時間は効率化できても人には限度があります.人が人たるところは情緒であり,情緒は効率化できません. 「間奏曲はパリで」の邦題も,ビートルズのシングルレコードの和名も人だからこその粋な感性から生まれました.

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